歴史書は客観的な視点で書かれたものでしょうか?
歴史書やNHKの大河ドラマのように
偉人達は欲求を封じ込め、民のために思いを馳せていたであろうか?
対立する政敵を抹殺し、自身を脅かす有能な部下を貶めてしまったバツの悪い事実を覆い隠すため、
ひたすら言い訳を書かせたのが歴史書の正体ではなかろうか?
勝てば官軍である。
君主が「俺の物語を書け!」とか命令し、
部下が客観的視点で「あれは良かったが、これはダメ」とか書ける環境ではなかったと思う。
ひたすら褒め称え、美化し、
有能な部下がやった善い行いも君主がやったように書いたに違いありません。
当時は事実を確かめる術がありませんし、ほとんどの人が字が読めないので指摘もできません。
偉人はいいから、当時の一般ピープルの生活や心情を知りたい。
何色が好き?
好きな食べ物は?
休日の過ごし方は?
将来の夢は?
どんなときにいいアイデアが浮かんだ?